熱海はもともとは「阿多美」という字をあてていましたが、海から熱いお湯が沸き出ていたことから、現在のように「熱海」となりました。古くは鎌倉時代に日蓮宗の僧侶・日興(日蓮宗開山第二祖・白蓮阿闍梨)が弟子の日保に当時を進めたという記録が残っています。また、熱海市の中心地区に古墳時代後期の遺跡・水口町遺跡が残っていることから、かなり古い時代から温泉を利用した生活が営まれていたのではないかと推測されます。
湯量は草津、別府、箱根に次ぐ湧出量を誇る熱海には、1604年徳川家康も訪れています。1976年には北イタリアのサンレモ市と姉妹都市になり、地形や町並みが似ていることから、南欧をイメージした新しい町作りが進められています。
熱海が一大保養地となったのは熱海線(現在のJR東海道本線)が開通してからですが、明治初期には政界、財界人や文豪が多く訪れていました。そのため、東京と繋がりが密接で、市外電話が初めて通じたのも熱海です。戦後の高度成長期には社員旅行や新婚旅行の定番となり、大型のホテルや旅館が多数作られました。が、1990年代以降、社員旅行が減ったり、新婚旅行は海外にというカップルが増え、客足が減りました。
一時期は、老舗の大型ホテルも廃業に追い込まれるほど衰退した熱海ですが、近年になり、もっとも東京から近い温泉として、利便性を求める観光客が増えてきています。
熱海の名前を知らしめたのは何と言っても尾崎紅葉の小説『金色夜叉』でしょう。高等中学生の貫一が許嫁のお宮を資産家の富山唯継に奪われ、高利貸しの鬼になると言う物語ですが、貫一とお宮が熱海の海岸で別れる場面が特に有名になりました。
「お宮が貫一に蹴られた場所はどこかしら?」と尋ねた女性の言葉をきっかけに、金色夜叉の碑が建てられた傍にあった羽衣の松はいつしか『お宮の松』と呼ばれ、観光スポットとなりました。
尾崎紅葉に限らず、熱海は多くの文豪に愛されたことでも有名です。温泉に入りながら執筆した文豪は数多く、熱海に移り住んだ坪内逍遙をはじめ、太宰治、谷崎潤一郎などの足跡が残されています。